二月の特別な日に ―聖side―
学校を出てしばらく歩いてから大事な事を忘れている事に気がついた。
どうしてかわからないが、本当にその事を今の今まできれいさっぱり忘れていた。
明日にしようか?いや、こういう事はやっぱりちゃんとその日にやらないといけない。
彼女はまだ学校にいるだろうか?薔薇の館に残るような事を言っていたから急いで戻れば間に合うかもしれない。
私はきびすを返すと急いで今来た道を引き返して行った。
決して優雅とは言えない足音を立てて階段を駆け上がり、お馴染みのビスケットのような扉を乱暴に開けると彼女はまだそこにいた。
しかし、彼女はいつものような毅然とした態度ではなく、まるで今にも倒れそうな様子でふらふらと立っていた。そして次の瞬間、彼女は前のめりに倒れてきた。
「蓉子!?」
私はとっさに蓉子の体を受け止めた。それから何度か呼びかけてみたが蓉子に答える気配は無い。
私は蓉子の額にそっと手を触れてみた。
「熱っ……」
それで、蓉子の倒れた原因がわかった。まったく、こんな状態なのに学校に来るなんて真面目と言うか律儀と言うか。まあ、そこが彼女らしいところでもあるのだが。
「とりあえず保健室に……って、一人じゃさすがに無理か。他に生徒も残っていそうに無かったし」
がんばって自分の足で歩いてもらえないかと思って、蓉子に呼びかけたが一向に起きる気配は無い。どうしようか、と悩んだ挙句とりあえず養護教諭を呼ぶ事にした。
それから保険医の保科先生と二人でどうにか蓉子を保健室のベッドまで運んだ。熱を測ってみると38度もあった。
私は体調が悪い事を言ってくれなかった蓉子と、それを見抜けなかった自分に少し腹が立った。
「ごめんなさい、佐藤さん。私、これからちょっと用事があるの。すぐに戻って来るから少しの間水野さんの事、看ててもらえる?」
「わかりました」
そう答えると保科先生は、お願いね、と言って出て行った。そして後に残されたのは私と蓉子の二人だけとなった。
看病と言っても学校の養護教諭じゃあ知識は持っていても病院みたいに薬を出すって言う事はできないから寝かせて休ませる事ぐらいしかできなくて、私はそれを、本当に見ているだけしかできないんだけれど。
荒い息を吐き続ける蓉子をただ見ているだけしかできないのがもどかしくて、何かしてやれる事は無いだろうかと思った。見ると蓉子の体はずいぶんと汗だくになっていた。
「このまま汗が冷えたら余計風邪がひどくなるしね」
そう言って、私はそこらにかけてあるタオルを1枚取って蓉子の汗をふいてあげることにした。
制服のタイをほどいて胸を少しはだけさせる。
蓉子のきれいな肌が露になった。
「汗をふいてあげてるだけなんだけど、何か妙な気分になりそう……」
だから、早く終わらせようと思った。いくら恋人同士だからって熱を出して苦しんでる相手に対してそういう事をするのはやっぱりまずいだろうし。そんな事したら後で蓉子にどんな目に合わされるかわからない。
(平常心、平常心……)
努めて平静を保とうとしたのだが、熱で上気した頬や切なげに吐き出される吐息などが凄く扇情的で、私の理性を狂わせようとする。いつもと違って弱々しいその姿は私の嗜虐心を煽った。そのうえ
「ん……聖……」
なんて寝言で、私の声を色っぽく呼ぶものだから
結局それが致命的となって
私の理性はどこかへ吹っ飛んで行ってしまった。
「ん……?」
蓉子の声がした。どうやら目が覚めたようだ。じゃあ、離れないと。いつまでもこうしてたらまずいだろうし。
だけど意思とは裏腹に体は蓉子から離れようとしなかった。
「………………!?」
蓉子が何か言って(私が口をふさいでたから実際には何も言えなかったけど)私の肩を掴んで思いっきり引き離した。
「何やってるのよ!?聖っ!!」
あ、怒った。まあ、そりゃあ怒るか。
「あ、目が覚めた?いやあ、倒れた蓉子を保健室に連れて来たのはいいんだけど、保科先生、さっき用事があるからちょっとの間留守にするって言って出て行っちゃったんだ。それで蓉子のこと介抱してたんだけど寝姿があまりにも色っぽかったもんだから」
つい、と事実そのままを口にした。
それにしても、蓉子が目を覚ましてくれて良かった。あのまま止められなかったら何やってたかわからないもの。やめようと思っても体が止まってくれなかったし。
それにしても、私、そこまで見境無いつもりはなかったんだけどなぁ、ちゃんと時と場所はいつも考えてるし。
「だからって何やってるのよ。誰かに見られたらどうする気?」
うん、それは同感。一応二人が付き合ってるのは秘密だし。まあ、祥子や勘のいい由乃ちゃんなんかは薄々感づいているようだけど。
私はなるべく陽気に
「大丈夫だって、私、耳がいいから誰か来たらすぐにわかるもの」
と言い繕った。耳がいいのは本当だし、嘘は言っていない。
「はあ……もう!学校じゃあ何もしないって約束でしょう?」
と、責められてしまった。一応約束はしたがその約束は十回に一回程度は破られているのであまり機能していないんだけど。
その時、ちらりと、蓉子が視線を下にずらした。そして制服のタイがほどけているのに気付くと
「聖……これ……」
と言って視線を投げかけてきた。その視線がどういう事?と言っている。
「違う、違う、何もしてないってば。ただ、蓉子が汗かいてたからふいてあげただけだって」
と、私は即座に答えた。実際それだけなんだけどもし蓉子が起きなかったら何かしていたかもしれないと思ってちょっと焦ってしまった。その焦りはは伝わらなかっただろうか?いや、勘のいい蓉子の事だから私の狼狽ぶりは伝わっただろう。
「本当でしょうね?」
ほら、いつもならすぐに信じてくれるのに確認してきた。やっぱり私がおかしかった事に気付いてる。
「本当、本当、マリア様に誓って」
と、私は最終手段を使った。この言葉を使う時私は決して嘘は言わない。蓉子もそれはわかっているからきっと信じてくれるだろう。それにしても、こんなにお手軽に使われてマリア様も草葉の陰で泣いていることだろう。
「ほら、それよりもうちょっと横になってなさいよ。まだちょっと熱があるみたいだし。まったく、具合が悪いならそう言ってよね。私が戻らなかったらどうなってたかわからないんだからね」
私はさりげなく話を切り替えた。さっきの話は私が最終手段を使った時点で終わっていたから別に無理に話をそらす必要も無かったんだけどちょっと思ったのだ。
私が戻らなかったら蓉子はどうなっていただろうか、って。
薔薇の館に来る人なんてめったにいないから誰にも気付かれずにあそこで倒れていたんじゃないだろうかと思うとちょっと恐くなった。本当、戻って来て良かった。
「ごめんなさい。大丈夫だと思ったのよ」
と、蓉子は言う。全然大丈夫じゃないよ、今度からは気をつけてよねと思う。
「そう言えば聖、あなた、どうして戻ってきたの?たしかずいぶん前に帰らなかった?」
それで、ここに戻って来た目的を思い出した。蓉子がいきなり倒れたりして驚かせるから危うくまた目的を忘れるところだった。
「忘れ物を思い出したからね」
そう答えると私は鞄を探り始めた。そして学校に戻って来た目的であるところのそれを取り出した。
「あ、あった、あった。はい、蓉子」
それは白地に紅い薔薇の模様が入った包装紙でラッピングされた、世間一般では俗にチョコレートと呼ばれる二月になると売上が伸びる洋菓子だ。
まったく、人の事ばっかり気にしていて自分の事を忘れるとは何たる間抜けぶりだろう。これじゃあ祐巳ちゃんにも笑われてしまう。
「チョコレート?」
「あったりー。って、何確認してるの。バレンタインに渡す物っていったら普通チョコでしょうが」
まあ、それは日本の習慣であってもともとはカードの交換だったとかいう話も聞いたような気がするけど細かいことは言いっこ無しって事で。
「それもそうね」
と、蓉子は苦笑して答えた。私は少し意地悪く
「蓉子、私からチョコもらえるなんて思ってなかったんじゃない?」
と聞いた。私自身、チョコはあげるよりも貰う物だって気が強かったからあまりあげようって気がしてなかったし。あげる気になったのが昨日だからそう思っててもしかたないんだけど。
蓉子は
「そんな事無いわよ、ありがとう」
なんて答えたけど、そう思ってたのが良くわかる。本当、嘘が下手なんだから。
「ま、そういう事にしておいてあげましょうか。それで、蓉子の方から私にはくれないの?」
そうだ、私はまだ蓉子からチョコを貰ってない。本来なら蓉子が私にチョコをくれる時に私のほうも渡そうと思ってたのに。もし、私がチョコの事を忘れてても、義理堅い蓉子は私に絶対にチョコをくれるはずだ。だからその時に思い出せると思っていたのに。その蓉子の方も忘れていたなんて。
そのおかげで助かったわけだけど。もし、チョコの交換が済んでたら私は倒れている蓉子を見つける事ができなかったんだから。
「もちろん、あるわよ。聖、私の鞄取って」
言われて、私は蓉子に、はい、と鞄を手渡した。ああ、良かった。くれないわけじゃあなかったのか。
「はい」
そう言って手渡されたのは紅い下地に白い薔薇の模様が入った包装紙に包まれたチョコレートだった。何だかどこかで見たような装丁だ。
「考える事は同じってか」
「そうみたいね」
「ところで蓉子、チョコ持って来てたんならどうしてくれなかったの?」
「仕方ないじゃない、いろいろあってそこまで頭が回らなかったんだから」
なるほど、それもそうか。
「そう言う聖だって忘れてたから戻って来たんでしょう」
「それはそうなんだけどね」
ははは、と笑う。それにつられたのか蓉子も笑った。
その時、ドアが開いて誰かが入って来た。
「何だか楽しそうね」
『あ、保科先生』
二人揃ってそう声に出した。用事があって留守にしていた養護教諭の保科先生が戻って来たようだ。
「水野さん、もう、大丈夫なの?」
「はい、おかげさまで。大分気分も楽になって落ち着きました」
そうみたいだ、倒れた当初に比べて大分顔色も良くなっている。ベッドで休んで少しはましになったのだろう。
「そう?もう少し休んでてもいいのよ」
「いえ、もう大丈夫ですから、帰ります。お世話になりました」
「心配ないですよ先生、私がいっしょについて行きますから」
「佐藤さんが、付き添ってくれるの?」
「ええ、どうせ途中まで帰り道いっしょですから」
「そう、それじゃよろしくね」
「ええ」
そう言うと私は帰り支度を始めた。蓉子もコートを着て帰る準備を始めたようだ。
そして私達は学校を後にした。
「ありがとう、ここでいいわ」
「そう?私は蓉子の家までついて行ってもいいんだけど」
と言うか、初めから蓉子が家に帰るまで見届けるつもりだったんだけど。万が一にもまた途中で倒れたりしないように。
「もう大丈夫よ。足元もふらつかないし、意識もしっかりしてるし。それにあんまり側にいて聖に風邪をうつしたら悪いしね」
「私は別に気にしないけど」
「私が気にするの。それじゃあね」
まあ、足取りもしっかりしてるし、心配は無いと思うから蓉子がそう言うんならここで別れるけど……
と、蓉子は数歩歩いたところで立ち止まった。
そして、今歩いた道を戻ってくる。
「蓉子?どうしたの?」
「ええ、ちょっと忘れ物を思い出して」
そう言って蓉子はきょろきょろと辺りを見回し出した。そして
私があっ、と思う間もなく、自分の唇を私の唇に重ねてきた。
触れるだけの、いつもより少し長めのキス。
そして唇を離すと
「今日はありがとう、聖がいてくれて助かったわ」
と、感謝の言葉を口にした。
私は少しの間呆然とした。
蓉子の方からキスしてくるなんて本当に珍しい事だったから、嬉しくて少しの間思考が麻痺した。
けどすぐに笑顔になって言った。
「どういたしまして。お大事に、風邪ひきさん」
「ええ、風邪ひきさんは早く家に帰ってベッドで休む事にするわね」
「そうしてちょうだい。蓉子が元気にならないとあんな事もこんな事もできないからね」
なんて軽口を言った。これは、私が今もの凄くドキドキしてるってことを知られたくなかったためで、いわゆる照れ隠しと言う奴だ。
「もう、馬鹿な事言ってないの。それじゃあまたね」
「ええ、また」
私はひらひらと手を振った。
そして今度こそ私達は別れた。
「蓉子は今日は最良の日だって言ってたけど……」
私にとっても最良の日だったみたいだよ。
そう呟くと、私は、蓉子からもらったチョコを一つ口にした。
それは今までにもらったどんなチョコよりも甘くとろけていった。
あとがき
マリみてSS第2作目。バレンタインスペシャル第2弾【二月の特別な日―聖side―】いかがだったでしょうか?え?キャラが違う?すいません、私の修行不足です(汗)精進します。
あ、蓉子さまが熱を出したのは解熱剤の効果が切れたからという事で……
一応バレンタインスペシャルはこれで終わりです。次回作は蓉子さま→聖さまのモノローグ風か、山百合会メンバーをキャスティングしてお話を脚色したおとぎ話でも書いてみようかと思っていますが何になるかはまだわかりません。次回作もできるだけ早く、そしてよりよい物として書き上げたいと思います。
それでは3作目でまたお会いしましょう。
新しいあとがき
1作目と視点を変えて作った2作目です
この頃はとにかく聖×蓉子にハマってて、いろいろなサイトを巡りました
おそらく、この頃がマリみてに一番熱中していた時期です
今でも、もちろん大好きですが